カトリック神戸中央教会
Kobe Central
catholic church
赤波江 豊神父
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「何という空しさ、全ては空しい。」(コヘレトの言葉1:2)
皆さん、今日の第一朗読コヘレトの言葉、どう思いますか。今日も頑張って生きようと思っているのに、何か水を差されたように感じる方もいるのではないでしょうか。
しかし、コヘレトは厭世主義について述べているのではありません。
確かに、全てのものは過ぎ去っていく。
だからこそ、決して無くならないもの、真に価値あるものだけを追い求めて行かなければならないことを述べているのですね。
そのために、今彫刻のイメージを描いてみましょう。皆さんの前に、木の丸太があるとして、今からキリスト像を彫るとします。
まず、頭の中にあるのはキリストの姿です。その姿を思い浮かべながら、手に大きめのノミを持って周りを粗削りします。
大体の輪郭が出来たら、今度は少し小さいノミに変えて輪郭を整えていきます。
そうして、いよいよ最終段階に来たら、細かいノミを使って、特に一番大事な顔の部分や指先を丁寧に慎重に彫っていきます。
そうして、ついに自分の頭の中でイメージしていたキリスト像が出来上がります。
つまり、この像が完成するために周りの不要な部分を削り続けて、最後に本当に大事なものだけが残るのです。
しかし、実際にキリスト像を彫るためには、キリストへの愛と祈りが必ず必要で、像にはその思いがにじみ出るのです。
ある彫刻家が、「隣人へのいたわりや優しさのない人間が創る芸術は、全て嘘だと言ってよい。」と語っていました。私もこの言葉は真実だと思います。
それでは、私たちが最終的に天に持っていけるものは何でしょう。それは心だけです。それ以外のものを持って行くことはできません。
しかし、豊かな心を形作るために、様々なものが必要なのです。
それは生きる糧、人との出会い、大自然の恵みと美しさなど、それらは決して空しいものではありません。
但し、条件があります。それは、支えてくれる周囲の人への感謝と思いやりがある限りです。これがなければ全ては空虚となるでしょう。
時は一見過ぎゆくものですが、実際は、心に積もり続けていくものなのです。
そうして人生の千秋楽の日、感謝と思いやりで積もり続け、満たされた心一つで神のもとへ帰りましょう。
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